第29回
急速に進む福岡県の宇宙ビジネス参入。
ものづくり地場産業の力と「イザナミ」打ち上げの立役者たち。
福岡県 小野昌志
NPO法人円陣スペースエンジニアリングチーム
當房睦仁、伊藤 慎二
2021年1月25日、九州発の超小型合成開口レーダー(SAR)衛星2号機、「イザナミ」が打ち上げられ、3月3日には初画像を届けてくれました。福岡県は、超小型衛星を始めとして宇宙ビジネスの分野を積極的に育てていこうとしています。福岡県 新産業振興課 企画主幹の小野昌志さんに、福岡県の宇宙ビジネスと振興の取り組みについてうかがいました。
--福岡県が超小型衛星開発の地となったのは、どのような背景があったのでしょうか?
小野:もともと「シリコンアイランド九州」という言葉の通り、福岡県にはIT企業の集積があり、半導体やロボットなどハードウェア開発の土台もありました。その中で、福岡県は国産プログラミング言語Ruby(*1)のソフトウェア産業振興に取り組んでいました。QPS研究所は、このRubyを軽量化したmruby(*2)を衛星の制御に採用しており、県ではこのRubyシステム開発の支援を行った経緯もあることから、QPS研究所が2017年度に23.5億円のシリーズA資金を調達した際に、県へ報告に来られました。こうしたことからQPS研究所と円陣スペースエンジニアリングチームとのつながりを知り、ものづくりとIT系の産業振興がマッチングするようになっていきました。
*1 Ruby:まつもとゆきひろ氏が開発した、簡易にプログラムができる生産性の高いプログラミング言語。海外ではtwitter、Uber、Airbnb、国内では楽天、クックパッド、ZOZO、マネーフォワードなど、ITスタートアップを中心に、革新的なプロダクトの創出に貢献。
*2 mruby:Rubyを軽量化し、家電や機械などを制御するためのプログラムやネットワーク機器やデジタル機器などの組み込み向けに、福岡県で生まれたプログラミング言語。
QPS研究所のSAR衛星プロジェクトには、県内から17企業、九州全体ですと21社が関わっています。こうした方々と連携と巻き込みを図っていきたいと考えるようになっていきました。
--福岡県としての宇宙ビジネス振興の取り組みにはどのようなものがありますか?
小野:宇宙ビジネスとはどのようなものかについて、まださらに認知を広めたいと考えています。そこで、宇宙事業に参入している、または参入を希望している企業をネットワーク化してつなごうと「福岡県宇宙ビジネス研究会」を設立しました。内閣府のS-NET自治体に選定された2020年9月にキックオフイベントとして「福岡県宇宙ビジネスフォーラム」を開催しました。QPS研究所のSAR衛星2号機「イザナミ」打ち上げパブリックビューイングを、これはオンラインですが実施したところドラマチックで大きなインパクトがありました。参加希望者も増え、個人会員も含めて現在は80以上の加入者、企業となっています。
初期の取り組みで注目されたのはSAR衛星というものづくりの部分でしたが、衛星が取得するデータ利用も期待されている分野です。たとえば、登山アプリ開発のYAMAP(ヤマップ)は2018年に第3回宇宙開発利用大賞「内閣府特命担当大臣賞」を受賞しています。そうしたソフトウェア企業がもっと出てくる環境づくりをして、後に続く企業を生み出したいと考えています。
県内にはIT企業の集積がありますから、若手がIT技術を駆使してデータ利用ビジネスを立ち上げてほしい。2021年度以降は本格的な取り組みを開始し、衛星データ利用のアイディアソンなどを計画しています。2020年度は啓発が中心でしたが、来年度予算では宇宙関連はものづくり企業を対象した補助金制度を創設しようとしています。意欲ある企業を後押ししたいですね。
--宇宙ビジネスを支援するにあたり、福岡県の強みとはどのようなものでしょうか?
小野:福岡県は長年ロボットや半導体の産業振興プロジェクト、Rubyを中心としたソフトウェア振興を進めてきました。たとえば前述のRubyを利用したコンテンツ産業振興会は800を超える会員数を持ち、企業や研究機関がひとつのプラットフォームに集まっている。長年培った産学官のプラットフォームがあり、企業技術が集積しているのは全国的にも珍しい福岡県の特徴だと思っています。これをスタートアップ支援につなげれば、宇宙という新しい分野の支援でも強みになります。
また、小型衛星開発の大ベテランである元九州大学教授の八坂哲雄先生と若手の大西さんが融合するQPS研究所は、自然な形で世代間交流を実現しています。ものづくりを担う地場の中小企業でも若手とベテランによる多様な集まりができています。QPS研究所中心のコンソーシアムのように、自然なチーム作りを後押しできると思います。
--宇宙ビジネスへの参入が増えた将来、どのような世界が広がっていくのでしょうか?
小野:衛星開発から、さらにデータビジネスや裾野の広いビジネスの領域、プレーヤーにつながっていくよう県としても仕掛けていきたいです。衛星データ利用に加えて、食品産業も活発な県ですから、宇宙食のように異分野とコラボして成長産業プロジェクトにつなげたいですね。
また、福岡大学で小型ロケットに取り組んでいる研究があり、県としても注目しつつ、サポートしていきたいと思っています。大学のポテンシャルを生かしつつ、県内ものづくり企業が参加できる手伝いをしたい。
これまでの宇宙プロジェクトは国や大手企業が中心で、あまり身近でなかったのかもしれません。ですが超小型衛星が登場したことでぐっと身近になってきましたし、県内のみなさんが応援してくれています。ドラマの影響か、「下町衛星」といった愛称も聞かれるようになりました。確かな技術力があって、世界で勝負できるからこそ応援してもらえるものだと思っています。この分野を引っ張っていく人の活動が加速するよう、県は支援を進めたいですね。
九州大学から生まれた企業、QPS研究所のSAR衛星プロジェクトには、福岡県内の地場企業が多数関わっています。今回は、久留米市のものづくりチームのNPO法人円陣スペースエンジニアリングチーム(以後、e-SETという)の理事長であり、株式会社睦美化成 代表取締役の當房睦仁さんと、同メンバーのオガワ機工株式会社 取締役副社長の伊藤慎二さんからも、福岡県でものづくり企業が初めて参加した衛星開発の現場についてうかがいました。
--福岡県久留米市でそれぞれ中小企業を率いているみなさんが、QPS研究所の超小型SAR衛星開発に関わるようになったのは、どのようなきっかけでしょうか?
當房:e-SETは、2005年ごろから久留米で新しい産業に参入を目指す中小企業の集まりとして活動していました。製造業が海外に移転してしまった背景に危機感をいだいていて、なにか面白いことにチャレンジして九州に仕事を呼び込もうと思っていたのです。そうしたところ2007年に、九州大学で宇宙ビジネスへの参加を呼びかける講演会があり、「民間中小企業も宇宙産業に参入できる。宇宙技術を地上で展開することもできる」という実例を知りました。「ぜひ参加したい」と呼びかけると、当時のメンバー10社ほどが賛同してくれました。九州大学でスペースデブリなどの研究をされている花田俊也教授とお会いして交流が生まれました。私たちは中小企業の若手社長、後継者などが中心で「ものづくりのサポートができます」と申し出たところ、大学の頭脳とものづくりのリソースをあわせて、一緒にやろうということになりました。
当時は、「九州小型衛星の会」という大学や企業が集まる研究発表会を年に2~3回開催していたんですね。私も最初は門外漢でしたが、研究発表を聞いているうちにだんだん理解が進み、2012年に打ち上げられた九州大学の地球観測超小型衛星「QSAT-EOS」プロジェクトが立ち上がったときに、小野さんのインタビューでも話題に出ていましたが、現在QPS研究所で取締役をされている八坂哲雄先生と知り合い、試験構体や設計にも参加することになりました。
花田先生たちと一緒に、さらに世界初の微小デブリ計測衛星「IDEAプロジェクト」開発にも、今回同席してくれているオガワ機工の伊藤さんと一緒に参加しました。このときには学生さんたちが主体となってし、私達は作る側の技術をサポートするようになっていました。2年ほど一緒に活動して、学生さんも意欲的で刺激になったプロジェクトでしたね。これまで一緒に衛星を作ったことで、大学や八坂先生が立ち上げたQPS研究所との信頼関係が生まれて、関わりを深めていくうちにQPS研究所に現在CEOとなった大西俊輔さんが入社し、ついに合成開口レーダー衛星のプロジェクトが立ち上がったのです。そこで衛星のアンテナと展開機構部の試験モデルの設計・製作を依頼されました。
--大学と技術を持つ企業との交流から宇宙プロジェクトへつながっていったわけですね。
當房:当初は「SARとは何か?」というところから始まって。カメラ(光学衛星)と何が違うの? と思っていました。けれども、よく聞いてみると世の中のイノベーションにつながると思って、前のめりで参加するようになりました。当時QPS研究所には、プロジェクト発案者の大西さんを含めて5~6人くらいしかいなかったですね。マンションの1室で、ハーフスケールのモデルを作ってはぐるぐる巻きのアンテナをぱっと展開するような試験をしていました。そこで半年ほどかけてQPS研究所の持つイメージを形にする役割を果たしていったんです。試験機では終わらず、実際の衛星プロジェクトにつながっていって、最終的に「36機打ち上げる」という構想となった。もうこれは進むしかない、やりましょう、ということになりました。
当時、作ったのはまだアンテナだけでしたが、衛星には本体である構造系や動く部分の機構系、アンテナなどの機能を加える必要があります。それこそ私たちの普段の仕事が生きる場面だと思って、設計から任せてもらいました。QPS研究所とのやり取りを密にしながら作っていったわけです。
--QPS研究所からは、どのように設計のオーダーが来たのでしょうか? 抽象的なイメージで届くわけですか?
當房:「こういうのを作りたい」というイメージ的な感じでしたね。
伊藤:「衛星をこんな風にしたい」という形で届くので、それならばどう実現するか、というところまではまだないわけです。ノープランで始めるわけですから本当に大変でした。でもすごく楽しかったですね。
當房:イメージを形にするところでは「これでよいのかな?」と思ってもQPSさんはこの時点ではものづくりの実体験が少なかったところもあるので、正解がわからないわけです。そこに我々が加わってそれをしっかり機能するように作り込んでいきました。
--當房さんたちは衛星の設計や宇宙の環境について小型衛星の経験を通して知見をお持ちだったのでしょうか?
當房:いやいや、やったことがない世界で、僕らにもわからなかったですね。それまでフライトモデルが宇宙で動いた実績は僕らにもありませんでした。もちろん、八坂先生というその道の大家がいて、知識はある。どんな条件を満足しなければならないかということは教えてもらえました。
伊藤:地球上で機械を作っていると、重力があってあたりまえです。ところが宇宙では、無重力でのふるまいを考えなければならないわけです。計算すればバネ一個の動きを導き出すことができますが、「こんなに速く動くの?」とまるで実感がわかない。「こういう計算になったけど合っていますか?」と確認することもありました。衛星の中でも動く部分、軸受けなどには熱が発生しますが、地球上では空気に逃げていく熱が宇宙だとどこにも逃げない。その点を考えなければならないのもエキサイティングなところです。
僕らの思う産業機械は、堅牢に、頑丈に、信頼性を高く作るものです。ですから分厚く、大きくどっしりと作るのが当たり前なんですね。でも衛星は質量の要求が厳しくて、信じられないほどの質量にしなければいけない。作業も終盤になってから「あと100グラム落とさないといけない」といったことが発生します。「今からどうやって100グラム落とすの!?」となって、部品を作り直しては抜き穴の大きさをミリ単位で調整することを何回もしなくてはならないし、もちろん剛性は低下させてはいけない。
振動試験も初めてだったのですが、部品が飛んだり折れたりすることもあり、メンタル的に鍛えられましたね……(笑)。すさまじい音がするので開けてみたら部品が折れて落ちている。金属板が折れるものなのか、と思いました。従来の経験なら板厚は6ミリメートル、10ミリメートルが当然だと思っていたところで、1.5ミリメートルにしつつ構造が成り立つようにしないといけない。最初はまったく感覚がつかめなかったです。
當房:精度のとり方からして違うわけです。精度をあまりきっちり詰めると振動でダメになってしまいますが、ゆるくてガタガタすぎてももちろんダメです。ちょうどいいところを探るのが難しい。なんとか納期に間に合ったのは、今から思うと奇跡的でした。
伊藤:1号機の「イザナギ」では人工衛星の設計も組み立ても我々にとって何もかも初めてでした。試験モデルにはハーネスはついていないのですが、本来なら電子機器があってハーネスが取り付けられるわけです。当時はハーネスの数もまったくわかっていませんでしたし、大型衛星ならば3~5年かけて取り組むところを1年半程度で作業していたので、設計時にハーネスのことまで考えをめぐらせる余裕がないのですね。電機の担当者のために何をしなくてはならないか考えないといけなかったはずですが、1号機のFMのときになって「しまった!」となる。自分たちの持ち場を守るところまでで精一杯でしたが、けれども作っているときはものすごく楽しかった。
當房:不思議なものでだんだんと「これならうまくいくな」とわかるようになってきます。宇宙用の設計というものがあって、こちらもQPS研究所に対して「こうしたほうが良いのでは?」と新たな提案を投げ返すとことができるようになっていって、うまく噛み合うっていきました。有難いことにQPS研究所は私たちに、単なる外注ではなくパートナーとして一緒にやろうといってくれました。
--高速に開発を進める超小型衛星のビジネスの中で、信頼関係もどんどんできていくのですね。プロジェクトマネジメントはどのようにされていたのでしょうか?
當房:月に2回、関係者が全員集まる定例ミーティングがありました。時間との戦いですから、最初は喧々諤々でギスギスしたこともあります。ただ、機械も、電機も、通信も、関係する人は全員集まって、たとえば機械系には通信のことはわからないとしても2週に1度のミーティングを重ねることで全員の気持ちがまとまっていって「ここは任せておけばなんとかなるだろう」という一体感が生まれていきました。
伊藤:ただ時間は本当に厳しくて……。最初の設計のときから、加工して組み立てて試験をするとうまくいかなくて壊れたりします。限られたスケジュールの中でドタバタと再設計して、普通なら2週間かかるところを「本当にごめんなさい、3日で再加工して」と謝りながらメンバーにお願いするということもありました。材料が入ってきた翌日にできていないといけないペースです。そんな思いをしたのに、振動試験をするとまたうまくいかなくて「じゃあどうしよう?」と考えなければならない。しかし、e-SETには高度な技術と豊富な経験で加工を受け持ってくれる素晴らしいメンバーがたくさん居ます。そのみなさんの功績があってこのプロジェクトは完成にこぎつけたと思っています。かなりきつかったけれども、それでも楽しかった。
1号機開発に1年半、2号機はさらに短い時間で開発したので、経験値は上がっています。「イザナギ」、「イザナミ」の2機は外見は似ていてもかなり中身が違いますし。QPS研究所は2号機が始まったころ30人以上の規模になって、ど根性時代を抜けてアカデミックな層の厚い企業になってきています。
當房:1号機のころより、さらに色々できるようになって、要求も上がってきました。3号機ではさらにステージを上げていくことになるだろうと思っています。
--大変なご経験ですが、中小企業の力を発揮して宇宙開発に福岡県のものづくりの存在感を示されていますね。これから宇宙ビジネスにどのような展望が開けているのでしょうか?
當房:民間のレーダー衛星は前例がまだあまりないですし、昼夜天候を問わず撮像できるのはすごいアドバンテージのはずです。今はまだ想像がつかないですが、インターネットの普及期のような、なくてはならないインフラになると思っています。九州の地場企業にそうした技術を持つところがあって、関われたのはラッキーでしたね。
伊藤:僕は比較的後から参加したほうですが、「人工衛星の開発に関わっている」と周りに言うと、その当時でも「何か役に立つと?」と鼻で笑われるようなこともありました。ですが、e-SETの理念である「北部九州に宇宙産業の集積地を作る」が根付くようにしたい。今すぐビジネスや金儲けにはならないかもしれませんが、最初は荒れ地を開墾するようなところから始めて10年、20年、50年後にむけて畑を耕していきたいと思っています。
當房:現在は福岡大学の川端洋先生といっしょにハイブリッドロケットの共同研究をはじめました。ロケットと衛星はセットだと思いますし、事業展開も目指しています。また、e-SETはNPO法人として人材育成や、宇宙産業の環境づくり、新規参入企業のサポートなど、インフラ整備の主体としてやっていきたいと思っています。QPS研究所は会社を「宇宙工学の梁山泊」と呼んでいますが、私たちは久留米をさまざまな人が集まる、「宇宙のトキワ荘」にしたいですね。
伊藤:ビジネスチャンスがあるということだけでなく、将来の夢や展望につながることを若い世代に示したいです。スタートは夢物語でもいいと思いますし、僕らもホワイトボードに線を描くだけの会議を2年くらい続けました。そのときから残っているコアメンバーは強いですし、自分たちの作ったものが宇宙を飛んでいると思えばモチベーションになります。「自分たちもできるかもしれない」と思ってもらい、良い意味でライバルも増えてほしいです。
インタビュアー: ライター 秋山 文野
取材協力
福岡県 商工部新産業振興課 企画主幹 小野 昌志
NPO法人円陣スペースエンジニアリングチーム
株式会社睦美化成 代表取締役 當房 睦仁
オガワ機工株式会社 取締役副社長 伊藤 慎二