第45回
「みちびき」データが守る水産業の未来。
漁業者の負担なく漁獲報告と管理漁業を実現
オーシャンソリューションテクノロジー株式会社 水上陽介
2020年、日本では70年ぶりの抜本的な改革といわれる改正漁業法が施行され、水産資源の適切な管理と水産業の成長産業化を両立させる方向を目指すことになりました。「水産業のスマート化」により、水産資源の保護と漁業者の収益向上、事務負担を軽減するため、衛星データはどのように活用できるのでしょうか。電子操業⽇誌「トリトンの矛」を開発するオーシャンソリューションテクノロジー株式会社の代表取締役、水上陽介さんにお伺いしました。
――電子操業⽇誌「トリトンの矛」では、衛星データを元に漁業者さんはハンズフリーで操業日誌を作成でき、大きな手間の削減につながっているということですね。どのような仕組みになっているのでしょうか?
水上:漁業者さんが出港するときには、船の電源のブレーカーを上げます。このブレーカーの操作と連動して自動的に位置情報の取得を始め、帰港するまで測位を続けて、帰港後にブレーカーをオフにすると1日の操業が終了となります。航跡の中で、操業開始の時刻、終了の時刻、航跡の特徴的な動きからイカ釣り漁や延縄漁といった漁法までAIで判断して操業日誌に落とし込むわけです。魚種ごとに何をどれだけ取ったかという情報は、水揚げされた後に漁協のシステムにデータが入ります。これと紐付けすると、漁業者さんは何もしなくてもいつどこで、誰が、何の魚をどれだけ取ったのか、という情報がしっかりと集約された操業日誌が完成します。
――「トリトンの矛」には、「みちびき」の測位データを活用されていますね。
水上:「トリトンの矛」が把握しているのは沿岸から50kmまでのエリアです。そこで50cm以内の誤差でAIの判断に役立つ漁船の航跡を取得できる状況になりました。「みちびき」を使わなかった初期版は、洋上にいるはずなのに陸側と誤認識したり、何百m、何km単位で位置情報がずれたりしたこともあったのですが、「みちびき」を利用することで補完できるようになりました。
この精度の高い航跡を基に、今までの「ひまわり」や「しきさい」のデータを重ね合わせることで、漁業者の操業の最適化をはかることができるようになります。「みちびき」の測位情報は、魚の産地証明という点でも確実にいつどこで誰が獲った魚か、という情報を消費者に対しても提供できる点で有用です。今後、消費者の食の安心・安全にも寄与していくようになると思います。
――資源管理という点ではどのようなメリットがありますか? 「操業の最適化」というのは漁獲枠の逸脱を防ぐということでしょうか?
水上:水産資源を守るために資源管理を実施する、という国の方針のもと、決められた漁獲枠の中で、現時点でどの程度獲っているのかという情報を漁業者さんに提供すると、資源を守りながら操業を最適化できるようになります。
実は、間違って獲り過ぎたケースというのは非常にまれで、マグロのように漁獲可能量(TAC)制度対象魚種ですと、漁獲枠に対して80%の漁獲が見られた際には、漁獲枠を管理している国や各都道府県の水産の担当部署が「いつ超えるかわからないので操業を自粛してくれ」と漁業者さんにお願いするという状況でした。この場合、ベースになる報告が月に1回しか得られないため、制限の範囲内で漁業者さんの枠を有効に活用する手立てがなかったのが実情です。
マグロでは、1匹獲れば100万円以上というサイズのものもあります。結果的に漁業者さんは収益が80%くらいなのに操業を自粛せざるを得ないところから、トリトンの矛を利用いただくことで枠のギリギリまで操業でき、確実に収益に直結していくと考えています。
また、操業がデータ化されていないことで、ほかの課題も浮かび上がってきました。そもそも漁獲枠の設定は、資源評価をしっかり行った上で、ある魚種に対して「この地域で今年度はこれぐらい獲ってよい」という設定がされます。長崎県の例ですが、コロナ禍の影響で結婚式場や飲食店の営業が縮小した結果、マダイなどの流通が例年に比べて大幅に減りました。魚を獲っても売れないので、漁業者さんは操業を自粛しようという判断の元にお休みを取っていたのですが、その影響で漁をしていないだけなのに漁獲量を数値化すると例年に比べて大幅に魚の量が減っているように見えてしまう。その結果、管理する側にとっては「資源が減っているのでは」という判断に繋がってしまっていました。昨年の例ですと、漁獲量を例年の7割削減、つまりこれまでの3割しか取ってはいけないという話がでてきてしまったのです。漁業者が皆で操業を自粛したということを客観的に示すデータが何もないことが問題につながっていたわけです。これは漁業者にとっては大変なリスクだと思います。
そこで、船に取り付けられているブレーカーと連動して漁獲努力量を取得できる装置を搭載していれば、「操業していない」という情報もデータとして残していくことができ提供することにも役立てられるのです。
――操業日誌と漁獲報告のデータ化、デジタル化は漁業を守るための波及効果が大きかったわけですね。
水上:最近では洋上風力発電の事業者さんからもお問い合わせをいただきます。ある海域に洋上風力発電を設置するには漁業者さんとの合意形成が必要になるわけですが、お互いにデータがない中で合意をしていくのは非常にハードルが高い。そこで客観的なデータをしっかりと示した上で合意をはかっていく。そして、設置をした結果水産資源が減ることがあっても、漁業者さんの生活を守る補償にデータを活かすことができます。洋上風力発電の送電線の配置にしても、操業の邪魔にならないように、また送電線を傷つけてしまうリスクを事前に排除していくためにも役立ちます。そういった副産物もありました。
――「トリトンの矛」のこれまでの導入の実績と、今後の普及拡大の方向性はいかがでしょうか?
水上: 2022年9月にリリースして以来、日本国内で設置されたユーザーが250隻、というのが1年目の実績となっています。来年度以降も数を順調に増やしていこうと国内では考えています。また、管理漁業に舵を切っているのは日本だけではなく、東南アジア、特にインドネシアも資源管理に注力する方向で進んでいます。
インドネシアは来年に違法操業を監視する「船舶位置監視(VMS)」システムの設置を義務化する方針です。VMSはあくまでもモニタリングのためだけのサービスですが、我々のサービスはモニタリングと資源評価の両方に使えて、データをインドネシアの海洋水産省に提供することができます。そこで、VMSを置き換える実証を2024年4月から始めることになっています。インドネシアも「みちびき」の測位が利用できますから、測位情報を活用した漁獲努力量のモニタリングの導入について話し合いを進めています。
また2024年度から「みちびき」では信号認証サービスが始まりますので、受信している信号が測位衛星から配信された本物の信号であることをユーザー側が確認できるようになります。位置情報を不正に改ざんされるという懸念がなくなり、「みちびき」から取得したという情報がセットになって、正確な産地証明や資源評価、漁獲努力量をしっかりと提供できるようになりますので、このサービスを心待ちにしています。
――AIがデータを利用するという部分において、漁業者さんの反応はいかがでしょうか?
水上:私たちは、漁業者さんそれぞれのデータはあくまでも個別に管理して、操業情報を他のライバルになりうる漁業者さんに共有はしない、という契約をしています。事業でAIを扱う場合、漁業者さんのデータを全て混ぜてさまざまな学習に使い、「ここだったらより魚が取れますよ」なんていうAIの作り方もあるかもしれません。ですが、データの帰属先は誰にあるのか、ということをしっかりと漁師さんと話し合い、あくまでも漁業者さんに帰属すべきものであるという立ち位置を明確に示しています。それをご理解いただいて、データを預けていただいているという関係性が作れたと思います。
――AIを活用されるところで、鹿児島大学と「赤潮予報」という実証を進められていますね。これはどのようなサービスでしょうか? AIはどんなところに効いていますか?
水上:私たちが最初に考えたのは、「ベテラン漁師の分身のAIを作る」というところでした。これは宮崎県、鹿児島県、熊本県で活動をされている水産会社さんと一緒に取り組んだのですが、ある程度進んだところでパッケージとして九州地区以外の東北や北海道など、他の地域に持っていこうとしましたが精度がよろしくない。地域ごとにカスタマイズをしないといけないということが見えてきまして、そうなると漁業者さんに導入してもらうにはコストがかかりすぎる。ではどうすればパッケージ製品にできるかを考えたときに、今日の海況は何年前の何月何日に似ているのか?ということを調べる海況検索AIを作ったのです。
その後、赤潮の予測をAIでやろうとすると赤潮発生の要因というのは要素が多すぎる、赤潮が発生して広がりを見せる原因を追求するには、プランクトンがどう成長をしていくのかという情報や、陸側から海に流入してくる淡水の量、降水量にいたるまでありとあらゆる情報が必要になってきて非常にハードルが高いことがわかりました。一方で赤潮そのものは毎日ではなく年に1回、2回程度の発生であるためデータ量が非常に少ない。そこで、海況検索AIの経験を活かして、シンプルに各地の水産試験場が提供している赤潮のモニタリング情報で注意報が発令されたときに、「この海況は何年前のどのパターンによく似ているのか」を見つけてくる方向にシフトしました。潮流、海流、塩分、温度といったものが何年前の海峡によく似ていて、赤潮が注意報レベルで発生するとこのように広がる可能性がある、ということを過去のパターンから探し出すわけです。
養殖事業については、赤潮が注意報から2日経つと自然に消えていくものなのか、あるいは注意報から警報まで更に1週間程度続くのかなど、状況によって事業者さんの行動が変わります。2日で消えてしまう赤潮であれば、餌を与えずにやり過ごすというような対処もできますが、これが1週間続いてしまうようなら、魚が全滅しないようにサイズ的には満足のいくレベルにはないけれども早めに出荷する、といった行動もあります。そうした行動の指針になるような、お天気予報のような形なら提供できるのではないかと考えました。
実際にやってみると、赤潮予報はデータ上では75%程度の精度が出ています。漁業者さんからは「60%でも充分使える」という声をいただいており、社会実装も目指して取組んでいます。今年度は鹿児島県で取り組んだ内容を、他の海域で同じアルゴリズムでそのまま使えるかどうか、まずは熊本県、長崎県の方で実証を進めています。
九州は赤潮が多いため、この地域を中心に進めていたのですが、北海道で2022年に大規模な赤潮があったため実証の取組みを進めていますが、北海道の場合、もともとは赤潮が少なく必要なデータが取れないという実情がありました。そこで、貝毒のデータであれば北海道にあるので、まずは貝毒のお天気予報みたいなところから始めようと考えています。
――赤潮予測も含めて、2022年度には鹿児島県で「衛星データ利活用実証事業実証」に採択されていますね。パートナー企業さんとのつながりはどのように作られているのでしょうか? 技術を持つ企業とのマッチングの部分で、悩まれている自治体や企業さんも多いように思えます。
水上:鹿児島県の実証では、鹿児島県に本社がある株式会社リリーさんが代表者になっています。こうしたパートナー企業とのつながりは、この例で言うと先の鹿児島大学の先生からの紹介です。エンジニアのコミュニティからつながりが増えていくこともあります。また、大手企業さんもベンチャーの取り組みに注目されていて、ピッチコンテストに参加した機会や、自分たちの技術はこの業界で使える、あるいは大企業のこの技術はこちらの業界でこう使える、と思い立てばこちらから連絡を入れることもします。
ほかに、普段から九州経済産業局のイベントで「この企業とつながりたい」と相談をしておけば、バックアップもしていただけるわけです。ですから自分たちの持っている技術や業界での立ち位置を、主要な役所に知っていただくための情報発信をすることが非常に大事だなと思っています。大手さんが必要とするときに、「ここならばその技術を持っていますよ」という情報を流してもらえる。自分たちに何ができるのか、どんな応用が効くのかをきちんと把握しておくことが大事です。
――衛星データを活用することで、日本での水産業は今後どのように発展していくことができるのでしょうか。
水上:私たちが「みちびき」を使って、誰もがきれいに整理されたデータで操業情報をしっかり貯めていけるように注力する中で、長崎県の小値賀島という離島でベテランの漁師さんたちが私たちのサービスを活用してデータを貯めていくということに一緒に取り組みはじめています。漁業者さんは100名ぐらいですが、30代の人が3名で、あとはみなさん65歳以上なんですね。小値賀島の役場の方は、離島から水産文化が失われないようにベテラン漁師の操業情報の蓄積を地域の資源、財産にしようと考えていらっしゃいます。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000005.000096785.html
ベテラン漁師さんになればなるほど、操業日誌は頭の中に全部入っているという表現をされます。ただそれだと次の世代につなげない。今後、小値賀島の漁村に活気を取り戻すことを考えると、新規就労者にもっと増えてほしいわけです。データがあれば、漁場の情報をベテラン漁師さんたちが貯めたデータをもとに、新規就労者でも早く一人前になれる環境を地域として提供できます。
以前、若手漁業者さんがタブレットをベテラン漁師さんのところに持っていって、「ここでマグロを取るとき、こういう操業をしたけどあまり数が取れなかった」という相談をしに行ったところ「ここで移動するのではなくて、その海域でずっと待機して、ぐるぐる回っているといいよ」というアドバイスを受けたとお聞きしました。ベテランの方から指導を仰ぐという、私たちも想定していなかった使い方もされていて、本当に取り組んでよかったと感じています。
漁村を残すということは、離島の地域コミュニティを残していくということでもあるわけですね。漁業はその島の根幹の産業ですし、最近の社会情勢も考えると安全保障という部分においても離島に人がちゃんと存在するという大きな意義もあると考えています。大規模資本が水産業界に参入してきて地方の離島から漁業者がいなくなるといったことにならないために、地域コミュニティの生業を地方にしっかりと残していく支援ができるサービスに育てなくてはならないと思います。これは「みちびき」のデータがあったからこそだと感じているところです。
――漁業者さんにとって、追加の収益に結びつく効果もありますか?
水上:最終的には産地証明という情報を消費者があたりまえのように購入するビジネスモデルを作り上げたい。それができるようになってくると、日本国内で魚がどれだけ必要とされているのか、需給バランスが見えてくるようになります。国が示す資源評価の枠を100%取りにいくよりも、国内の流通量に合った適切な価格で販売できる量であれば、枠の50%であってもよい、ということもあるかもしれません。漁業者さんの収益向上にも、資源の安定にも使っていける環境を提供できると思っているところです。
日本は海に囲まれて、水産資源に関しても世界的にも稀に見る多様性に富んでいる国でもあります。管理漁業先進国のノルウェーと比較しても、ノルウェーは主な漁法が2種類、魚種は8種類ほど。日本は漁法が10種類あり、漁獲枠の設定される対象魚種が200種類もある国です。世界中が日本という国の管理漁業はどうなるのか、と注目しています。日本が管理漁業のイニシアチブを取っていけるように、まずは漁獲量世界第2位のインドネシアを含む東南アジアに日本の管理業務のあり方を伝えていく。さらにASEAN諸国にしっかりと管理漁業を適応して、食料安全保障の面でも、国土という側面においても、東南アジア圏と衛星データを活用し手を取り合いながら管理漁業を進めていけるようになればいいなと思います。