SPECIAL

未来を創る 宇宙ビジネスの旗手たち

SPECIAL/特集記事

第48回

気象衛星データ×AIで見えない乱気流の発生を予測する「神アプリ」を実現
ANAホールディングス株式会社 松本紋子
ANAシステムズ株式会社 渡邊英三郎、小川晃平
全日本空輸株式会社 岸宏行
慶應義塾大学・BlueWX株式会社 宮本佳明

航空機内で怪我を伴うような事故の原因となる乱気流は、安全な航空機の運航を妨げてしまいます。気象衛星「ひまわり」の画像データや他気象データとAIを組み合わせ、現在の気象予測では特に予測が難しい雨雲を伴わない「晴天乱気流」を含む乱気流全般を予測する取り組みが進んでいます。ANAグループの中で乱気流予測システムのプロジェクトをリードしたANAホールディングスの松本紋子さん、システム開発を担当したANAシステムズの渡邊英三郎さん、小川晃平さん、全日本空輸の岸宏行さん、そして気象学者として理論とAI設計をリードした慶應義塾大学・BlueWX代表の宮本佳明准教授にうかがいました。

――「航空機内で怪我を伴うような事故は、乱気流が原因となることもある」とも聞きます。衛星データとAIを用いた乱気流予測を始めるにあたって、どのような課題感から始められたのでしょうか?

松本:乱気流の予測は昔から行われていて、予測方法もさまざまあります。ですが、現在の方法ではちょっと予測が難しいところがあって、従来予測とは異なる視点で精度を上げるモデルが必要だと考えていたんですね。最近ではアジアの航空会社がかなり大きな乱気流に遭遇されて悲しい事故もありました。また地球温暖化によって上空のジェット気流の速度が速まっているため、乱気流の発生頻度が高まっているという見通しもあります。

私たちの乱気流予測システムは安全に運航するための補助的なデータという位置づけでして、システムがないと運航できないですとか、大事に至るといったことは決してありません。ただ、ニーズがこれから高まっていくと考えて、現在の予測精度を改善しより安全に運航していくための補助データとして利用していけると思って取り組みを始めました。

慶應義塾大学の宮本先生とはもともと、「航空機の運航に欠かせない風の予測に衛星データを使って精度を向上できないか」というところでご相談していました。そこから、「乱気流という事象を衛星データや気象予測モデルのデータからAIを用いて予測することが可能ではないか」という話になりまして、取り組みが始まりました。そこで乱気流が発生した周囲の衛星画像などをAI学習モデルに学習させるという発想に至ったのです。

松本氏

松本氏

宮本:乱気流の性質を大きく分けると、山に気流がバンっとぶつかった後に発生する場合と、発達した雲の周囲でできる場合と、もうひとつよく晴れているのに突然がくんと揺れる晴天乱気流の3種類があります。最後のタイプは予想が難しいのですね。そこで晴天乱気流にフォーカスしよう、もちろん他のタイプもカバーできればということで始めました。

乱気流自体は気象現象のひとつで、いつどこで起きるかが分からないというのが課題です。私の着想としては、乱気流を起こす前に何らかの気象状態の変化があるはずですから、その変化を捉えることができれば、きちんと予測ができると思った次第です。ではその予兆をどう捉えるかと考えた場合に、乱気流そのものを捉えようとするととても大変になってしまう。そこで人工衛星のデータを使って起きる背景となる風や雲の大きな流れの特徴を捉えようとしたところがオリジナルですね。

乱気流予測システムのプロジェクトを始めるにあたって、先行研究などを満遍なく調べたんです。現在、最先端と呼ばれているのは米国で開発されたものです。天気予報のデータから膨大な数のサンプルを取ってきて、ある地方の上空で6時間先に発生する可能性がある、というように統計を使って綿密に予測するモデルでした。論文ではかなり精度が出ているんですが、ただ、実際にシステムを使われている方の感触とはちょっと一致しないところもありました。

初めて乱気流の予測が行われたのは1970~1980年代ごろですが、統計手法やデータ量を増やすなど研究が進んで伝統的手法は精緻化されているものの、ほとんどシステムそのものは変わっていないんですね。そこで私たちは、思い切って根本的に仕組みから変えてしまおうと考えました。

宮本氏

宮本氏

――画像を使って乱気流を予測するシステムというのは、どのような仕組みでしょうか?

宮本: AIにもいろいろありますが、私たちは画像学習を使って人工衛星の気象データをひたすら学習していくというアプローチで始めました。こういう雲のパターンのときには乱気流が出やすいということを学習していくのです。大まかに言うと、ある画像を示して、「これは犬ですか、猫ですか?」ということを判別するようなモデルになっています。乱気流がある場合とない場合の気象データを大量に学習させていくと、AIモデルが「今日こういう状況で、どちらの方向から出る、あるいは出ない」という予測を確率と共に出してくれる。「これは猫に近いです」「犬である確率が80パーセントです」といった判断をするようなモデルになっています。その意味でも衛星データ、衛星画像との親和性が高い方法ですね。

衛星画像は主に気象衛星「ひまわり」(※)のものを使っています。AIはなるべく多くのデータを学習させた方がやはり賢くなります。ひまわりは均質に常時広い範囲を測定できますし、最新のひまわり8号、9号はとても多くの解像度の高い情報が得られるので機械学習にとって最もデータセットを作りやすいという性質があります。地球を南北に周回する極軌道の衛星ですとリアルなデータを取ってくれる一方で、常に同じ範囲を観測しているわけではないので、サンプル数がどうしても限られてしまうという難点もあるんですね。当初始めたときには、ひまわりのプロダクトに雲を追跡することで風の推定値を出してくれるものがあって、乱気流も風の一種ですから使えるかなと思ったんですね。ですが、このデータは雲があるところに限られてしまうという欠点もあって、結局は常にデータが取れる赤外画像の方がサンプル数を増やすという条件に合っていました。

(※)筆者注:「静止気象衛星「ひまわり8号・9号」の(注略)衛星直下点での水平分解能は、最も細かいもので可視画像0.5㎞、赤外画像2kmとなっています。」(国土交通省 気象庁ホームページ

松本:宮本先生がこのとても良いアイデアを思いついてくださったので、2019年に内閣府の「課題解決に向けた先進的な衛星リモートセンシングデータ利用モデル実証プロジェクト」に乱気流をAIで予測するという内容でANAホールディングスと慶應大学の宮本先生と共同提出というかたちで応募しまして、採択されました。AIモデルの精度評価を行った結果、これならば精度が向上する可能性があるということが見えてきました。2020年度には経済産業省の予算をいただいてもっと深掘りしようということになり、グループ会社のANAシステムズにも参加いただき、システム化やモデルの改善にも取り組んでもらいました。

慶應大学、ANAホールディングス、ANAシステムズ、ANAの4者でさらに実証を重ねまして、パイロットへヒアリングをした結果、いいものができたということが確認できました。さらに多くのパイロットに使ってもらえる仕組みを構築しようということで、2021年に内閣府の「課題解決に向けた先進的な衛星リモートセンシングデータ利用モデル実証プロジェクト」にもう一度応募しまして、そちらも採択いただきました。それまではパイロットへのヒアリングは8~10名程度が対象だったんですけれども、2021年は全てのパイロットを対象に拡大して実証実験をしています。

渡邊:2019年に開発を始めた当初は、専用のビューアでないと見ることができない仕組みでしたので、私たちANAシステムズが参加してパイロット全体に広げられる仕組みづくりに取り組みました。予測した乱気流のデータの表示に加えて、合わせて見たくなるような風の向きのデータですとか、気圧の情報などの重ね合わせができて、ラジオボタンで簡単にオンオフができるような形にしたんです。ブラウザから誰でも見られる仕組みにしましたので、パイロットのみなさんにも見やすいようになったかなと思っています。

渡邊氏

渡邊氏

――段階的に、着実にシステムを進化させていったわけですね。

松本:1回の実証期間で AIの開発から可視化まで全部やるとなると、実質6カ月の期間の中ではきっとおさまらなかっただろうと思っています。まず初めに予測AIの精度検証、次にAIモデルの可視化、とステップを分けたところが良かったかなと思います。

宮本:気象の場合は、まず四季があり、さらに年変動もあります。例えば昨年も非常に暑い夏でしたが、今年はさらに暑い。そうした毎年の変動もいくつか重なっている世界なんです。まず四季をカバーするデータがほしいですし、さらに何年か暑い夏も寒い夏も経験しているとなお良い。希望をいえば一声10年ぐらいあるといいなとは思いますが、そこまでは難しいのでまず最低でも1年間分の四季のデータがモデルづくりに必要ということがありますね。

松本:ANAの岸さんがそうした季節変動を織り込んで、季節別、月別など条件を変えたAIモデルでどの程度の差が現れるかを詳細に調査してくれました。

岸 :宮本先生ともコミュニケーションを取って仮説を立てつつ、データセットを分けたりパラメーターを変えたりして試行錯誤しました。すると、季節ごとにモデルを分けた場合に最も高い精度が出たんですね。月別でもやってみたんですけども、モデル数はある程度少なくした方が良いですし、季節でまとめるほうが数が多くなりすぎなくてバランスがとれたんです。そこで2020年のアウトプットとして季節モデル4つを立てることになりました。

松本:精度評価にかなり違いが出たのは私たちにも新たな発見でした。月別だとしても、1カ月の中でもかなり変動が多いですし、例えば同じ7月の中にも梅雨とそうでない日があります。かえって月で分けない方が良いのでは?という議論もあったりして、すごく面白いアプローチでしたね。

――いいものになったというシステムには、精度という面と実際にユーザーとなるパイロットの方々の使い勝手という面があると思います。社内での反応と評価はいかがでしたか?

松本:2020年までは、社内の安全を司る部署に所属する10名ほどのパイロットに集中的にアプローチをして、ヒアリングをしていました。2021年からはもっと多くのパイロットに使ってほしいということで、先行して経験してもらったパイロットを通じて、「いいものだ」というコメントもいただきながら、社内でぜひ、トライアルでもいいので使ってもらえないかという調整をしました。当初はAIに対して「ロジックがわかりにくい」「どういう観点でその予測結果が出たのかわからない」のように、すぐには信頼できないというコメントも多くあったんですね。そこでパイロットのスケジュールに応じて何度も講習会を開いて、誰でも参加できるようにした上で「興味のある方だけでもいいので、とりあえず使ってみてください」というように周知していきました。

小川:パイロットだけでなくグループ全社員に向けての社内イベントもありますので、そうした場でも認知度向上を目指しました。その場で実際の画面を見せてデモンストレーションもしています。

小川氏

小川氏

渡邊:当初から「予測がかなり当たっていそうだ」という好感触はいただいていたんですが、それでもやはりこれまで使っていた予測システムからいきなり新しいシステムに切り替えるには、何をもって判断すればいいかわからないので検証を続けさせてほしいという意見はありました。そこで可視化の仕組みを作りつつ、1~2年かけてじっくりと検証してもらったわけです。

松本:精度検証にしても、机上で数値を出す定量的な検証もそうですが、数値で当たっているということはわかっても、実際に飛んだパイロットがどう感じるかということも重要です。そこでiPadでも使えるようなスタイルにして、飛行機の中でちゃんと見ていただいた。その上で実際に揺れた時に予測が当たっていたのかというヒアリングも行い、定量的な判断と定性的な判断の両方を確認しました。だんだんとヒアリングやアンケートに「非常にいい」という反応が出て、そのコメントもパイロット全員にフィードバックさせていただいて、そういったことを重ねることでだんだんとユーザー数が増えていったという感じですね。

岸 :おかげで、社内の研修で会ったパイロットの方から、アプリの開発者ですという話をしたところ「神アプリ」と呼ばれてるってこと知る機会がありました。嬉しかったですね。

岸氏

岸氏

松本:現在のアクセス数から考えると、ANA運航便の半分近くのパイロットが使っているのかなという頻度になってきました。私たちのシステムだけでなく、先行する他のシステムとも比較して、乱気流に遭遇したときに各種の予測結果は当たっていたのか、また乱気流に遭遇しなかったときにも予測結果が当たっていたのかというヒアリングもしました。結果として私たちのAIモデルは90パーセント超える方が「当たっていた」と評価され、従来予測で「当たっていた」と評価した方は65パーセントと、予測精度の結果に差が生じたことも確認しました。机上計算で精度が出ていても、実際に使ってみた場合の感触とは異なるということも実感しています。

また、日本人工知能学会で成果を発表し、優秀賞をいただいたのですが、学会でも認められたということも、パイロットのみなさんには異なる分野の専門家から評価された、という安心感につながっていると思います。

――時間をかけて、ANA全体の中で好反応をいただいたという予測システムを、外部にも提供できるようビジネス展開を始められていますね。また、今年度は新たな雷の予測システムにも取り組まれています。

松本:乱気流の予測結果がとても良いものができたので、他の方々にも使っていただきたいという思いでBlueWX株式会社という会社を立ち上げることになりました。宮本先生が代表取締役になっていただいて、令和6年度の内閣府の「課題解決に向けた先進的な衛星リモートセンシングデータ利用モデル実証プロジェクト」はこの会社が主体となって応募しています。

宮本:これまではANAさんと皆で協力して良いプロダクトができたわけですから、広く展開して飛行機をより安全にしましょう、ということで会社を作って乱気流のデータを販売していくことになりました。今年度の成果次第では、対象を広げて航空関係ではヘリコプターやドローンなどの突風対策に使ってもらえないかということですね。もう少し地上に近いところでは、洋上風力発電やコンテナ船にとっても突風の情報はとても大切ですので、そうしたところにも貢献できればと思っています。いずれは雷対策も同じように扱えればと思います。

――気象衛星のデータから、発展性を持った新たな乱気流予測システムを開発された観点から、衛星データの活用に今後期待されることはどんなところでしょうか?

松本:衛星データというと、地上の写真のようなデータをイメージされる場合も多いと思います。ただ、私たちが使っている気象衛星のデータも衛星データですし、他にもさまざまな種類があります。多くの人が衛星データの多様性を理解して、いわゆる「衛星写真」のほかにも使える、メリットがあるデータがあると思ってもらえるとよいなと思っています。

岸 :今回のシステム作りの中で、裏側にある機械学習やAIの基本的な学問的な部分をより突き詰めていくところ、また宮本先生の気象の学術的な知見をいただいて一緒に進めていくことで、利用を推進できていったと思います。今後もそうした部分で貢献できればよいと思っています。

渡邊:気象に関するシステムに関わるのは今回の乱気流予測システムのプロジェクトが初めてでして、気象庁の気象庁情報カタログには、今回必要になったデータ以外にもものすごい量のデータが記載されていることを知りました。「これであっていますか?」と確認しないとわからないぐらいだったんですけれども、そうした素人には未知のデータがたくさんあるということを肌で感じたところもありました。もっと他のデータを活用してさらに役に立つことができると良いなと感じています。

小川:これまで私はANAグループの中でデータ活用を担当していまして、マーケティングやセールスの分野でデータ活用というのは比較的進んでいて、効果検証の方法論なども社内で確立されていたと思っています。さらに乱気流予測システムのプロジェクトに関わって、気象の衛星データを使って安全な運航に寄与する、そうしたことにも私たちのスキルやケイパビリティが活かせるということが非常に大きな気付きでした。良い機会だったと感じています。

宮本:私が学生のころ所属していた研究室では衛星データを使っていまして、当時はもう衛星データ使ってる人はなにか暗号を読める人のような扱いでした。そのころと比べると、もう考えられないぐらい今のこの環境は恵まれてきていますね。衛星データが使えると研究もぐっと広がりますし、とても貴重なデータも知識があってデータに強い人ならばすぐに使えるように環境が整ってきています。

衛星データは航空分野だけでなく、他の分野にも大事です。「課題解決に向けた先進的な衛星リモートセンシングデータ利用モデル実証プロジェクト」をぜひ継続していただくことで、本当に良いものが育ってくると思います。そのもう一歩先には、衛星が増えてデータの方が多すぎて解析できる人のほうが足りないというフェーズに入ってくると思います。そこで、課題がある人たちの「こういうことに困っているので、衛星データでなんとかならないか」という声を集めて、解決策を提案するというコーディネーターも成り立つのではないかと思いますね。そうするとデータ会社さんも入ってきやすいのではないかと思いますね。

集合写真

取材協力
ANAホールディングス株式会社
グループ経営戦略室 事業推進部 宇宙事業チーム マネジャー 松本紋子
ANAシステムズ株式会社
デジタル・イノベーション部デジタルデザインチームチームリーダー(兼務)
ANAデジタル変革室イノベーション推進部
デジタルテックプロモーションチームマネージャー 渡邊英三郎
データマネジメント部 副部長 兼 データドリブンチームリーダー 小川晃平
全日本空輸株式会社
デジタル変革室 イノベーション推進部 データデザインチーム 岸宏行
慶應義塾大学環境情報学部 准教授・
BlueWX株式会社代表取締役社長 宮本佳明